- 一期一惠
(6)細菌にびっくり/発達障害児の口腔ケア
顕微鏡の話
そろそろこのコラムも今回でおしまいである。1回目からむし歯・歯周病の原因はさまざまあり、それに対する予防法について書いてきたが、中でも、その原因となる細菌については見えないからよくわからないと言う患者さんが大概である。
当院では、数年前よりその細菌を位相差顕微鏡で患者さんに見せて動機づけに生かしている。顕微鏡というと子どもの時にタマネギの切片や氷の結晶などに驚嘆した記憶があるだろうが、専門家以外はそれ以来見たことがないという人が案外多い。
この顕微鏡を作った人はオランダのAntony van Leeuwenhoek(1632~1723)で、300年前に肉眼で見ることのできない細菌が存在することを明らかにした。彼は、商人であり政治家でもあったが、レンズを作る事を趣味としていた。手製の精巧なレンズを金属製のホルダーにはめ込み、顕微鏡を作っていた。彼の作った顕微鏡は200~300倍で、信じがたいほど素晴らしいできであったという。
彼はデンタルプラーク(歯垢)を観察し、その内容を[Royal Society of London]に報告した。すでにプラーク細菌を桿菌、球菌、ラセン菌に分類していた。その素晴らしい科学的所見と洞察は彼の死後長い間凍結され研究されることはなかった。
その後フランスのパスツール(1822~1895)が細菌は自然発生するものではなく、生物から生物に感染して発生することを実証し、これに基づいて独のコッホ(1843~1910)が感染症を克服する業績をあげた。そして、アメリカのミラー(1853~1907)がむし歯は細菌によって起こることを化学細菌説として示した。
口の中の細菌
では、どのくらいの種類と数の細菌が口の中にいるかご存じであろうか?口腔内には500種類を超える細菌種が住み着き、デンタルプラーク1㎎に108個の細菌がいる。変な話、便中の細菌数とほぼ同じと言われている。常在菌もいて、すべてが悪さをする菌ではないが、残念ながら目にみえない菌(0。5μm~100μm)1)であるが故にこの菌の怖さを知らない人が多い。
そこで、当医院では4年前に位相差顕微鏡を取り入れ、受診するすべての大人に検査を実施するようにした。その結果いろんな事が分かるようになった。それは、歯周病の治療後には細菌数が減少する事、親子で細菌叢が似ていること、細菌数が多い人は感染を起こしやすいこと、寝たきりの高齢者の口腔ケアを継続すると細菌叢が変化すること、等々である。
今後は細菌数が多い人が少ない人に比較して10年後20年後にどのように変化するか?これが興味をそそられるところであるが、どっこいその頃まで私がこの仕事を続けていないと思われるので、この‘はてな’は解決されないままになるかもしれない。
恐い歯周病菌
さて、中でも歯周病菌の話をすると、歯周病菌は静かに長い時間をかけて侵襲するので気付いたときには手遅れなどという事が多い。この事が歯周病を糖尿病と共にsilent disease(静かに潜行する病気)と呼ぶ由縁である。歯周病を放置しておくと歯周病菌により歯槽骨が吸収され、ある日、歯が自分の手で抜けるくらい「ぐらぐら」になってしまう。それで40代から総入れ歯になる人もいる。40代以降、歯を喪失する主な原因はこの歯周病であり、やっかいなのは総入れ歯になって初めて、その不便さに気付く事である。宮崎弁では「しもた~」2)等と言う。普通は40代以降にこれらの症状が出てくるが、発達障害児の、中でも特にダウン症の人は20代からこの歯周病におかされ、歯を若いうちに失ってしまう事が多いと、学会でも報告されている。
便利な顕微鏡
ダウン症の20代の男性Bさんはちょっと無口な恥ずかしがりやさん。彼の口腔内細菌を調べたところ歯周病菌であるスピロヘータが特に多く、本人と保護者に顕微鏡像を見てもらったが、その数の多さと動きの速さ(顕微鏡の利点はその動きも観察できる)に驚いていた。この患者さんは知的障害もある為に、自分ではきちんと磨けないので保護者に仕上げ磨きの方法を教えた。そして歯周病の治療をした後歯周病菌が減少した事を顕微鏡像で確認できた。しかし、ちょっと安心したのもつかの間、3ヶ月後の検診では少し後戻りしていた。
このように治療の効果が目で確認できるので顕微鏡は培養などと比較して診療室で手軽に検査できるツールとして便利である。この患者さんは、その後定期検診の重要さを伝え、現在経過観察中である。
「キラー軍団」とのバトルは続く
さらに、脅かすようで恐縮だが、歯周病菌は歯を喪失させるだけでなく万病の元であることも一般的には知られていない。動脈硬化症、病巣感染、早産、糖尿病などの誘因ともなる。特殊な例としてダウン症の中でも先天性心疾患を持っている人は抜歯や歯周病の治療後に口腔内細菌による感染性心内膜炎を起こす恐れがある為に、抗生剤の術前投与をすることもある。
このような歯周病菌を「キラー軍団」と呼ぶのは、こういう謂われからである。私たちは毎日この軍団とのバトルを繰り返しているが、中々紛争は収まらないのが悩みである。
今、風疹、鳥インフルエンザの感染が毎日のように報道されているが、これらの病原菌は細菌よりもっと感染力の強いウイルスであり、人類はこれらの菌との戦いにこれからも翻弄されるのであろう。
注釈
1)1μm=1000分の1mm
2)後悔先にたたずという意味
参考文献
1)奥田克爾:デンタルバイオフィルム、医歯薬出版、2010
臨床作業療法 vol.10 No.3 2013