• 宮崎日日新聞

入れ歯の話

街中で「8020」ナンバーの車をみかけた事がある、ああ私達の仲間かなと思う。この数字の意味は一般的に良く知られている。歯が20本以上残っていれば、高齢者でも十分に硬いものを食せる、食生活をほぼ満喫できるとされている目安の数である。いわゆるこの「8020運動」は最初は愛知県で発生し、2000年に日本歯科医師会が財団を設立し全国に広まった。厚生労働省の発表によると80才で20本の自分の歯達成者は2011年には38.3%であったが、2016年には50.2%となった。この数字は2000年の宮崎県の実態が約10%であったのに比較すると驚異的である。

しかし、この達成率の数字の裏を返せば歯が無くなって入れ歯を使用している人も多いという事である。この入れ歯に要求される三大要素は噛んで飲み込めて、見た目が良く、発音明瞭な事。この三条件を満たすのが私達歯科医療者の腕のみせどころだが、苦労する場合が多い。

ちょっとここで入れ歯の歴史をひもといてみる。我が国で現存している最古の木の入れ歯は、和歌山市の願成寺の尼僧、通称仏姫が入れていた木の入れ歯である。仏姫は1538年に亡くなったので、それ以前に木の入れ歯が作られていた事になる。なんと今から480年前で、前歯も顎の部分も全体が木で彫刻され、奥歯の噛む面もすり減り、使用していた痕跡がある。

一方ヨーロッパやアメリカでは17~18世紀には材料として象牙、セイウチやカバの牙、動物の骨などが用いられていた。日本では上の顎に吸い付く入れ歯がすでに作られていたが、当時の西洋では上の顎の総入れ歯は現在のように顎に吸いつくものではなかった、だからスプリング弾力で上下の顎に押しつける方法を取っていた。このように工夫された入れ歯によってヨーロッパの上流婦人達は口元の美しさと若さを回復した。しかし、食物をかみ砕くことはできない事も多く、宴会に出かける時はまず入れ歯を外して食事をし、食事が終わると入れ歯を入れ、サロンでワインを飲みおしゃべりをしていた。その為サロンの婦人達は「空気を食べている」とか「話の途中休まないと入れ歯が落ちてくる」とか言われていたそうだ。構造的には日本の方が進んでいたといえるが、このように審美性の回復は重要な事であった。

また、こんな興味深い記事もある。(2010年7月スポーツ報知)【第二次世界大戦中の英国のチャーチル元首相の入れ歯が29日英東部で競売にかけられ1万5200ポンド(約200万円)で落札された。さまざまな名演説で戦時中の英国民を鼓舞したチャーチルは、入れ歯がなければ演説の歯切れが悪かったとされ、英PA通信はこの入れ歯は「ナチスとの戦いの重要な武器だった」と伝えた。チャーチルは死後、入れ歯と共に埋葬されており、競売されたのはスペア。入れ歯を作成した歯科技工士の息子が出品して、チャーチル関連の遺品などを集めている英国の収集家が落札した。】この事例は発音明瞭に貢献したといえる。

食生活を満喫できると同時に、前述の様々な条件を我々は悩みながらクリアしようと奮闘している訳であるから、決してティッシュに包んでゴミに出しちゃったとか、愛犬に食われちゃったとかなきように大切に使用して頂きたいものだ。

 

宮崎日日新聞
2017年10月16日掲載