- 宮崎日日新聞
さいごまで口から食べたい
「生きる為に食べよ、食べる為に生きるな」高校時代の恩師がよく口にしていた言葉だが大人になってようやくこの意味がわかってきた。これは、哲学者ソクラテスの有名な言葉だが、後半の哲学的なフレーズはさておき、人は生きる為に食べる。この飽食の日本ではグルメやダイエット番組が毎日メディアに流れ、若く健康な人には食べる事はしごくあたり前の事である。しかし、なんらかの病気や加齢により明日から食べるのは無理と言われたらどうしますか?今回は私が経験した終末期の食事の問題についてふれてみる。
近年我が国では超高齢社会の進行と共に摂食嚥下障害(食べたり飲み込んだりに障害がある場合)が問題となってきた。加齢、脳血管障害、認知症、難病など何らかの原因で食べる事が難しくなったらどうするか?ぎりぎりまで口から食べるか、人工的水分栄養補給法(AHNと略す)である経管栄養(点滴や胃ろうや鼻から管で栄養をとる)にするか選択肢が種々ある。しかし高齢者の場合、現在の日本では決定権が本人にあまりないのが現実で、社会的背景、家庭環境、介護現場での能力等から議論がなされるようになってきた。
これらの問題は私が嘱託医をしているホームホスピスでも同様である。しかし、終末期で食べられないと診断されても口腔ケアをして、食べる訓練、座位保持訓練等を行い廃用性障害を改善し、食物形態を工夫する事で終末期を脱する事例がある。
Aさん(84歳、女性、認知症)は繰り返す誤嚥性肺炎の為胃ろうのまま、ホームホスピスに入居してきたが、その2週間後胃ろうを自分で引き抜いた。家族からの「胃ろうが嫌だったのだから食べさせて下さい、それで何かあったとしてもそれは母の人生です」との申し出により、翌日から経口摂取する事となり思考錯誤が始まった。初めは食物形態・食介助を工夫し、暫時固形物へと上げていき、6ヶ月後の誕生日には好物のさしみも食べられる様になった。1年後には歩行可能となり、ピクニックに出かけ弁当を食べ、文字を書き、周囲との会話もできるようになった。口から食べるようになって体重は10キロ以上増加し、肺炎もおこさなくなった。
これが契機となり、その後経管栄養となった患者さんを多職種との連携で経口摂取に移行する取り組みが始まった。これまで経験したAHN16症例のうち半分が食べられるようになり、4分の1が楽しみとしての食事摂取、残りの4分の1はうまくいかない症例であった。この成否には理由がありそれは次回に述べる。
このように何らかの原因で高齢者が口から食べられなくなった時、終末期において患者とその家族がどのような選択をするかは、死生観に関係してくると思う。決してAHNを否定するものではない。そして、胃ろう造設の際は医療者側、患者側もその意義と予後等十分検討する必要がある。さらに造設後も経口摂取へと戻す可能性を模索する事が大切ではないかと考える。口から食べるという希望をかなえた家族は、本人に再び終末期が訪れた際には決して人工栄養法は選択しないと言う。今まで胃ろうだった患者さんが食卓を皆と囲み、楽しそうに口から食べる姿を見る時、家族、スタッフと共に医療者としてこの上ない喜びである。
※座位保持訓練(起きて座る訓練)
※廃用性障害(胃ろう等で寝たきりにより身体や口の筋肉が衰え、食べる機能も落ちる)
※身体や口の機能低下を改善
宮崎日日新聞
2017年5月1日掲載